シエスタ不可侵条約

¡Hola!おはよう!

← 戻る

Me as a Pokemon

僕がポケモン扱いされた時の話

2025/06/20(金) #昔話

感想文。

何か本を読んだり話を聞いた時に必ずと言っていいほど提出を要求されるそれは、僕が小学生の頃からの天敵であった。

当時の僕は、今よりも自分の考えていることの言語化が非常に苦手だった。夏休みの読書感想文も、とりあえずあらすじを書いてはこうだと思う、こう思う、というのを繰り返していた。

それに加えて、僕は日本語を書くのが苦手だ。日本生まれの日本育ちで留学経験もないのに、だ。どうしてもミミズの張った字になってしまう(こっちは未だに改善しないので、日記やメモは英語で取っている。母国語でない以上何かしら間違いを伴うのは仕方ないし、そもそも人に見せる前提ではないので、正直こっちの方が精神的に楽だ)。
しかし、当時の僕は英語が書けるわけでもなかったし、ごく普通の学校だったので日本語で書くしかなかった。

ある日、見かねた担任が、「1行だけでいいから、必ず出しなさい」と言ってくれた。僕はその言葉に救われた。それ以降、小学校では感想文をサボらなくなった。小4のことであった。

しかし、中学に入ってからは、再びそうはいかなくなった。中学でも感想文を要求されるし、なんならその頻度は増えた。

僕はその時から「今さえよければそれでいい」という思考回路だったので、小4の時と同じように1行だけ書いて提出していた。しかし、「これではだめだ」と突き返されてしまう。

「出したのに。どうしてだめなんですか?小4の時の先生は、それでいいって言ってました」
「中学生は、そうではないのですよ」

やはり自分の言語化が苦手だったので上手く反論できなかったと記憶している。親に相談しても「中学生だから」で片付けられてしまった。

僕は最近思う、人間は人間であってポケモンではないと。

なぜなら、ポケモンは種族によっては一定の強さになると進化して、ステータスが上昇する。ところが、人間はそうはいかない。

「小学生」から「中学生」になっただけでは、当然あらゆる能力が急速に成長しない。言語化能力だけでなく、計算力、暗記力、運動神経、芸術センス、何でもそうだ。特に小6から中1の短期間においては、ただ肩書きが変わるだけである。ところが、大人たちはそうは思わなかったようだ。

もし中学生になっただけで急に文章がすらすらと書けるようになったなら、僕はそれだけでなくダンスのキレも数学アレルギーもある程度改善していただろう。

これは何も「小学生」か「中学生」に限ったことではない。周りを見ると、中には正社員の社会人でも大人にならざるをえなかっただけの子供もいることだろう。要は「肩書が変わっただけで人間はいうほど進化しないのだ」ということだ。

もし今これを見てる人がいて周囲に子供がいるなら、心に留めてほしい。人間は誰もポケモンではない。

P.S. Windowsを更新してから変換がひどいのだが、僕の環境だけだろうか!

今日のおすすめ

← 戻る

Language Menu